タレメtoツリメnoアイダ   mikiwame’s diary

『いま』をデザインする ほどよい田舎暮らしのタレ目とツリ目から見える間の世界を届けています。

【実録 極・貧乏家族】第25話 貧乏家族長男とバンドメンバー  留年の危機を乗り越えられるか?! 青春時代の始まり

貧乏家族母のアルコール中毒問題も
息を潜めたいたころ
貧乏家族長男とバンドメンバーに
危機が訪れていた。


私生活では色々ありながらも
バンドを組んで、初ライブをやり
充実した毎日を送っていた僕は
学校へ行くことに疑問を持ち始めていた



それはとにかく学校が退屈だったからだ



バンドを組んで間もないころは
メンバーに会って話すことが目的となり
サボるというほどまでの行動ではなく
昼までいて、昼から早退するといった
可愛いものだった。



それが、段々とメンバーや友達も
早退したりする友達が増え
いつのまにか朝学校であったら
1限目が終わったら帰ったり
更にエスカレートして
学校に行く前に学校近くのスーパーで
集合するようになり、
そのまま学校に行かず、そこで話して
1日中過ごすことが多くなっていった。


時にはみんなでカラオケに行ったり
貧乏家族長屋アパートの3畳の部屋に
4~5人集まったり(1~2名は外)
とにかくサボりまくっていた。


なにも考えず、楽しさの方へ引き寄せられ
学業は疎かになっていった。


となると、もちろん先生たちも学校も
黙っていたない。


まず2年生の終盤、単位が足りなくなっていた

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まだ退学したいという思いまでには
駆り立てられてなかったので
ひとまず留年しないように単位は
計画的に取っていった。


その一方で、現実的な問題が
勉強をしていないための学力低下


当時、バンドのボーカルも同じような
行動を共にしていたので、
単位を含め、勉強はまるでしていなかった


やっていたのはギターの練習ばかりだった


試験日を迎え、少しだけの危機感しか
なかった僕らの結果は散々だった


案の定、追試という留年の賭けた戦いだ。


同じクラスでも数人追試を受けるほど
さすがとんでもない公立高校だった。


ただでさえ、早期退学者が多くいた
クラスはこれ以上少なくなるのは
学校側としても不本意なところでは
あったが、留年となって留年する生徒は
稀であることから、なんとか
進級してほしいところではあった。


そのため、追試を担当する先生は
ある程度、どのような問題が出るか
教えてくれた。
これはラッキーなことだった。


元々暗記力には多少自信があった為
数日、バンド活動を中断し
勉強をした。


追試当日、自分では自信はあったが
バンドのボーカルはあまり自信は
なさそうだった。


元々勉強は苦手な方だったみたいで、
今回の追試にもあまり力を
入れていなかった様子だった。


一抹の不安を覚えながらも
追試が開始した。


追試の席順は決められていたが
僕の後ろにボーカルがいた。


自信があった僕は、ある程度の時間で
全ての解答をを済ますことができた。
ボーダーラインである点数は
確実に通った自信はあった。


まだ大分時間を持て余してしまう感じでは
あったので、先生の監視の目を盗んで
ボーカルの方を覗いてみたら
かなり困惑した面持ちでこちらを見た。


これはやばいなと思った。


一人だけ留年させるわけには
学校生活が寂しくなってしまうと
思った、次の瞬間
僕は、先生の目を盗んで
ボーカルのテスト用紙を僕のとすり替えた


それから無我夢中で、そのテスト用紙の
解答欄を埋めた


漫画のような話ではあるが本当の話である


解答を済ませ、テスト用紙を再度すり替え
それから数分後、追試終了の合図がなった。


結果は、お互い追試合格で無事進級することができた。
成功した僕とボーカルに、恋という青春も
同時に訪れようとしていた


つづく.....


次回の
【実録 極・貧乏家族】第26話
貧乏家族長男の音楽の夢と青春の光
をお送りします。 


【この時の自分へ言葉をかけるとしたら】

〇学歴のための学校生活を送るには
 3年は長すぎる

〇人生は最初に目指してたものとは
 違うものだっりする

〇貧しさで否定され続けていた故に
 すてきな仲間が出来たことが
 何よりもうれしかった



自分の中の小さな知識で迷うより
相談するだけは無料です
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