タレメtoツリメnoアイダ   mikiwame’s diary

『いま』をデザインする ほどよい田舎暮らしのタレ目とツリ目から見える間の世界を届けています。

大切な人が亡くなって感じる「死」について

今日は父の三回忌だった。



父は70歳でこの世を去った

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よく親元を離れて
平均寿命で考えたときに
親に会えるのは数えられるほどしかない
と、昔から言うが
実際には、いつまでも元気で
あたり前に実家に帰れば
そこにその姿があると思うのが
普通の感覚だ。


僕も同じように考えていた。


父は現役で仕事をしていて
人一倍健康には気を使っている人だったが
70歳の誕生日を迎え
20日後には危篤状態となり
翌日家族に看取られながら息を引き取った。


亡くなる直前、お医者さんが
人間が亡くなる前に最後まで
機能しているのが「耳」と言われ
語りかけてください
と言われ、母は、父の手を握り
二人が大好きだったよく聞いた歌を聞かせた

実際には体はそこにあるが
話すことも
笑うことも
怒ることも
もう二度と父の感情に触れることが
出来ないと感じたとき
僕の中で父は亡くなっていた


僕は最後の父との残された僅かな時間に
届けた言葉は
「ありがとう」
「ありがとうね」
「親父ありがとう」
だった。


父との長い人生の間に
色んなことがあった

楽しいこと
辛いこと
不安なこと
哀しいこと
寂しいこと
悔しいこと

父が満足のいく最高の人生だったかは
どうかは父本人しかわからないが
僕は父と歩めた人生には感謝をしたい


これはあくまで個人的な体験を基に
感じたものだが
父が亡くなって
僕も父親になってわかることがある。


お互いが「ありがとう」と思える
時間をより多く過ごすことが
いつか誰しもに訪れる
「死」という儚いものとの
向き合い方なのかもしれない


もう二度と感情に触れることが
出来ない儚さは
肉体よりも尊い


生きるとは心だと思う。