タレメtoツリメnoアイダ   mikiwame’s diary

『いま』をデザインする ほどよい田舎暮らしのタレ目とツリ目から見える間の世界を届けています。

『実録 脱・貧乏家族』第87話 脱・貧乏家族父 葬儀始まる・・

ついに
70年の生涯に幕を閉じた
脱・貧乏家族父の葬儀の始まろうとしていた

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葬儀場がいっぱいだったため
1日遅れで葬儀をとり行うようになったため
土日に行うようになった



参列者の方々には、父のために週末を
潰してしまうので申し訳ない気持ちにも
なったが、家族葬でやるつもりだったので
そんなに来ないだろうと僕らは思っていたが
葬儀場の人は、現役で仕事をしていた父だったので
もしかするといけないということから
返礼品は多く用意するように言われた



互助会に入っていたこともあり
ある程度プランにそって
金額は抑えられたが
葬儀場はやはりビジネス
オプションプラン進められ
最期の父を見送る会ということもあり
少しずつだが葬儀代は高くなっていった

当時母は重度の白内障
急に父を亡くしたことで
本来ならやるべき喪主を
僕にしてほしいということで
この若さで喪主を体験することになる


僕らは葬儀場からは30分以上はかかるところに
あったので母たちもお通夜葬儀中に
通うには厳しい状態だったので
葬儀場に脱・貧乏家族全員で泊まることにした



初めての喪主体験
想像していた以上に色々とやることが
あり、正直父を亡くしたことを
哀しんでいる感情にはとてもなれなかった


そして、ついに
脱・貧乏家族を率いた父の
お通夜が始まった


to be continued・・・


次回の
『実録 脱・貧乏家族』第88話
父のお通夜
驚きの光景
を、お送ります。






『実録 脱・貧乏家族』第86話 亡き父の亡霊  見えているものだけが全てじゃない

父の葬儀の段取りも終わり
僕らも葬儀用の礼服や
その他、連絡する方々への
案内などの準備に追われていた



葬儀は家族葬にするつもりで
出来るだけ少ない人数でとり行う
つもりでいたが、父は現役で
仕事をしていたので、仕事関係者を
考えるとそれなりに参列者はいるようにも
思えたが、費用の面もあったため
父には申し訳ないが
僕らとしては費用を抑える意味でも
出来るだけ小さいものにしようと考えていた


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父が亡くなった夜
まだ幼い子供達は
父が亡くなったこともあまりわかって
いないようだったので
じぃじはお空に行ったのよと
話をしていた。


その夜のことだ



2歳になる長男坊が
部屋の天井を見上げていた


どうしたの?と聞くと
天井を見上げニコニコと笑っているのだ


長男坊は何も言わないが
今、この部屋に父が来ているのだと感じた


そして寝る前も
庭に父が植樹してくれた紅葉の木があった
そこを指さしてじぃじと呼んでいたのだ


まだ告別式も終わっていなかった
この状況で父はお別れを言いに
孫たちのところに来てくれたのだと思った


これは少し前の話になるが
父の70歳古希のお祝いをした帰りの
駐車場の話を憶えているだろうか?


あれは父が倒れる1週間前の日曜日だった


いつもはバイバイと普通に手を振り
別れる長男坊がその時ばかりは
泣きわめきしがみついて離れようとはしなかった


まさに今考えると
根性の別れだったと感じる


長男坊は父がいなくなることを
感じていたのかもしれない・・・


to be continued・・・


次回の
『実録 脱・貧乏家族』第87話
脱・貧乏家族父
葬儀始まる・・
を、お送ります。


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『実録 脱・貧乏家族』第85話 脱・貧乏家族父死す 哀しみの果てに・・・

突然の父の急死をうけ
悲しむ時間もなく
病院側からは父の遺体を
いつまでに引き取ってほしいという
要望があり、僕は段取りに追われていた



ただ父が急死とはいえ
即亡くなったわけではなく
昏睡状態になり危篤になり
死ぬまでに順序を経て天国にいってくれた
おかげで、不謹慎化もしれないが
僕は父が危篤になった時点で
葬儀会社に連絡はしていた

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葬儀会社に父の死を伝えると
すぐに霊柩車の手配をしてくれ
父を迎えにきてくれた


しかし、困ったことが起きた


それは葬儀場が空いてないことだった


当時僕らは互助会に入っていたので
その葬儀場でやるしかなく
場所も限られていた


出来たら父が住んでいた近くで行いたかったが
近くには関連の葬儀場はなく
僕らの住む近くにしかなかった


通常であれば亡くなったのが朝だったので
その夜がお通夜、翌日告別式という流れだが
葬儀場が空いていなかったため、
一日先延ばしになり、土曜日お通夜
日曜日告別式という日程になった



これも父の計らいなのか
僕らにとってみては、少し準備する時間が
出来たため、すこしほっとしていた。


僕は病院の手続きを済ませると
実家に戻り父の遺品の整理と
葬儀が行われる会場へと
打合せに向かった


もちろん葬儀は初めてで
どうしていいのかわからなかったが
互助会に入っていたおかげで
コンシェルジュの方の
助けを借りながら葬儀の準備をした



一通り準備が終わると
貧乏家族本家がお世話になっている
お坊さんに連絡をし、すぐにお経をあげに
来るというので、その時間まで
霊安室で父と二人の時間を過ごした。


不思議な感覚だった


あんなに元気だった父が
今は話すことも笑うことも出来ない



その父の亡骸が目の前にあって
覗き込むとそこには穏やかに眠っている
今でも目を覚ましそうな表情の父がいる



その顔を見ていると
その時、僕の心には
哀しみを通り越して少し安らぎすら感じていた


to be continued・・・


次回の
『実録 脱・貧乏家族』第86話
亡き父の亡霊
見えているものだけが全てじゃない
を、お送ります。



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【出来る人の共通点】

仕事が出来る人
処理能力が早い人
いわゆる「出来る人」に
ある共通点がある

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明日に先延ばししない習慣


この先延ばしにしない人
仕事においても多くの人は
先延ばしする人が多い


先延ばしにする=精神的に弱い


この「先延ばし精神」
出来ない人には備わっている


一方で「出来る人」

この「先延ばし精神」を大敵と捉え

即実行への道を選ぶ


勿論何も考えず、やってはいけないこともある


自分の頭で深く考え抜くことで
自分のお考えを持つ習慣を身に着けることは
重要なことだ。


他人からの助言は、自分で答えを見出す技術が
備わってから受ける方が良いと思う。


自分で答えを見出せるということは
すなわち決断力が備わったということ


決断力が備われば「行動」に自信を持つようになり
自ずと「行動力」を研ぎ澄ませることが出来る


何事も先延ばしする習慣を捨て
その時の自分の頭で考え抜き
何かのアクションを必ず起こすこと

それが「出来る人」と「出来ない人」
の、違いかもしれない。



【出来る人は自己管理も出来ている】


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『実録 脱・貧乏家族』第84話 朝早くに鳴り響く電話 父の最期・・・

70歳の誕生日を迎えて
1週間後父は急性ウイルス性肺炎で
救急搬送され、入院して
1週間後の今、危篤になっていた。



僕ら家族からしても
父の仕事関係の人たちにしても
とても信じがたいこの現状に
戸惑いを隠せずにいた。


父は人一番健康には気を遣う人で
いつも薬や、少し体調が悪いと
早めに休んだり、病院に行ったりと
とにかく用心深く自分の体とは
繊細に向き合っていた


そんな父が突然の命の危険さらされる
病気にかかるとは誰が想像できただろうか


そして、僕らは家族会議を開き
苦しんでいる父に延命治療をしない
意思を主治医に伝えた

その日、病院から見る夕日は
哀しくも眩しい光に照らされていた

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主治医からはもって後1、2日だろうと
言われていた。

様々な思いを胸に、脱・貧乏家族は
それぞれの家へと帰っていった


本来なら徹夜して誰か泊まるところだったが
母や妹、弟がいる家はすぐそばだった為
少し安心して、小さい子供達と
いつもと変わらぬ夜を過ごしていた


そして・・・


その翌日の早朝6時

僕の電話が静まり返る
脱・貧乏家族邸に鳴り響いた


父が入院している病院からだ


僕はすぐに父が危ないということに
気付き、電話をとると
看護婦さんが父が危ないという内容だった


僕は急いで服を着替え
車に飛び乗った


脱・貧乏家族邸から
父の入院している病院まで1時間

母に連絡をし、すぐに病院に向かうように伝え
僕も高速道路を無我夢中で飛ばした

父に会いたい・・・


僕は何度も待っていてくれ
と、叫びながら車を走らせた


自分でもどうやって運転したかも
憶えていないほど飛ばした

そして1時間もかからない時間で
病院に到着すると
僕は病院の中を走り、父がいる部屋へと向かった


そこには、すでに母、妹、弟と
主治医と看護婦さんがいた


僕は一瞬間に合わなかったかと
後悔をしかけていた時
まだ父は生きていた


一度、心臓が止まったが
蘇生したらしいのだ



まるで、僕が到着するのを
待っていたかのように。


もうすでに虫の息の父


もうあと少しで父がこの世から
いなくなる

そう思うと、自然と込み上げてきた


その時、主治医が言った


人間は最後まで機能として残るのが
耳と言われています
どうぞたくさん話しかけてください、と・・・


僕らは順番に話かけた。


父の目は、黒い部分はなくなり
真っ白になっていた。

僕は父にたくさん話したかったことが
あったのかその時は何も考えられず
ただただひたすら
「ありがとう、ありがとうね親父・・」
と、手を握りしめ何度も繰り返し伝えた


妹も弟もそれぞれの父への想いを伝えた

その後、ユーチューブで
父が大好きだった北島三郎を耳元で流した
祭りだ。
最期も父らしく逝ってほしかったからだ


そして最期は、やはり人生の苦楽を共にした母と
二人の時間を過ごした

母は、手を握りしめ、
父の心拍数が低下していく中で
二人が大好きだった歌
北島三郎の夫婦一生を父の耳元で
歌いながら、僕らは父の最期を見守った



そして・・・

9:17分

家族に見守られながら
波乱万丈の父の人生の幕が閉じた

享年70歳

脱・貧乏家族を率いた父がこの世を去った


to be continued・・・


次回の
『実録 脱・貧乏家族』第85話
脱・貧乏家族父死す
哀しみの果てに・・・
を、お送ります。


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