『実録 脱・貧乏家族』第84話 朝早くに鳴り響く電話 父の最期・・・
70歳の誕生日を迎えて
1週間後父は急性ウイルス性肺炎で
救急搬送され、入院して
1週間後の今、危篤になっていた。
僕ら家族からしても
父の仕事関係の人たちにしても
とても信じがたいこの現状に
戸惑いを隠せずにいた。
父は人一番健康には気を遣う人で
いつも薬や、少し体調が悪いと
早めに休んだり、病院に行ったりと
とにかく用心深く自分の体とは
繊細に向き合っていた
そんな父が突然の命の危険さらされる
病気にかかるとは誰が想像できただろうか
そして、僕らは家族会議を開き
苦しんでいる父に延命治療をしない
意思を主治医に伝えた
その日、病院から見る夕日は
哀しくも眩しい光に照らされていた
主治医からはもって後1、2日だろうと
言われていた。
様々な思いを胸に、脱・貧乏家族は
それぞれの家へと帰っていった
本来なら徹夜して誰か泊まるところだったが
母や妹、弟がいる家はすぐそばだった為
少し安心して、小さい子供達と
いつもと変わらぬ夜を過ごしていた
そして・・・
その翌日の早朝6時
僕の電話が静まり返る
脱・貧乏家族邸に鳴り響いた
父が入院している病院からだ
僕はすぐに父が危ないということに
気付き、電話をとると
看護婦さんが父が危ないという内容だった
僕は急いで服を着替え
車に飛び乗った
脱・貧乏家族邸から
父の入院している病院まで1時間
母に連絡をし、すぐに病院に向かうように伝え
僕も高速道路を無我夢中で飛ばした
父に会いたい・・・
僕は何度も待っていてくれ
と、叫びながら車を走らせた
自分でもどうやって運転したかも
憶えていないほど飛ばした
そして1時間もかからない時間で
病院に到着すると
僕は病院の中を走り、父がいる部屋へと向かった
そこには、すでに母、妹、弟と
主治医と看護婦さんがいた
僕は一瞬間に合わなかったかと
後悔をしかけていた時
まだ父は生きていた
一度、心臓が止まったが
蘇生したらしいのだ
まるで、僕が到着するのを
待っていたかのように。
もうすでに虫の息の父
もうあと少しで父がこの世から
いなくなる
そう思うと、自然と込み上げてきた
その時、主治医が言った
人間は最後まで機能として残るのが
耳と言われています
どうぞたくさん話しかけてください、と・・・
僕らは順番に話かけた。
父の目は、黒い部分はなくなり
真っ白になっていた。
僕は父にたくさん話したかったことが
あったのかその時は何も考えられず
ただただひたすら
「ありがとう、ありがとうね親父・・」
と、手を握りしめ何度も繰り返し伝えた
妹も弟もそれぞれの父への想いを伝えた
その後、ユーチューブで
父が大好きだった北島三郎を耳元で流した
祭りだ。
最期も父らしく逝ってほしかったからだ
そして最期は、やはり人生の苦楽を共にした母と
二人の時間を過ごした
母は、手を握りしめ、
父の心拍数が低下していく中で
二人が大好きだった歌
北島三郎の夫婦一生を父の耳元で
歌いながら、僕らは父の最期を見守った
そして・・・
9:17分
家族に見守られながら
波乱万丈の父の人生の幕が閉じた
享年70歳
脱・貧乏家族を率いた父がこの世を去った
to be continued・・・
次回の
『実録 脱・貧乏家族』第85話
脱・貧乏家族父死す
哀しみの果てに・・・
を、お送ります。
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