綺麗事に包まれるやさしい悪
会社の風土や
学校の教育の場において
必ず存在する理念や思想
いいものを作ろう
良い環境を作ろう
良いサービスを作ろう
みんなで作ろう
一丸となって目標や理想を実現させる
という名目で取り組む姿勢
これについてはすごく良い事ではある
しかし、この良いものを築こうとするあまり
お互いを尊重し合っているばかりでは
本当に良いものは作れるのだろうか?
勿論、プラス思考で物事を考える思考は間違って
いないし、世の中もそれについては賛成の人も
きっと多いと思われる
こっちの意見を聞いて
あっちの意見を聞いて
民主主義的なやり方に関して
とやかく言うつもりはないが、
あまりにもお互いの意見を尊重しすぎて
最終判断を下すときに、
いい塩梅で落ち着かせるケースが増えてくるのでは
ないかと思ってしまう。
実はこのいい塩梅にこそ
綺麗事に包まれるやさしい悪の存在があるのだと思う。
言いたいことは言わせて
いい塩梅に落ち着かせる為には
最終決定を下すタイミングで
どちらの意見も多少尊重することが
これとこれは出来る
これとこれは出来ない
という会社や教育の観点から
間を取り持つような形で行うことが多い
ここで思うのは
その問題や課題、向かうべき目標や理想の中の
本質を突く言動が存在しないことではないかと
思う。
良い事をやっていても
良い事を言っていても
その一方で疲弊している人がいたり
その一方で熱量が失われていくことを
気付かずに進められていく
その中に潜んでいるのが
綺麗事に包まれるやさしい悪では
ないかと思う
確かに全てにwinwinの関係が
気付ければ
ベストなんだと思うが
時には綺麗事の本質を突くことが
出来ると、もっと素晴らしいサービスが
出来るんじゃないかと思ったりもする。
綺麗事の中に誰かの
不幸が隠れているとすれば
それはそれはきっと....