タレメtoツリメnoアイダ   mikiwame’s diary

『いま』をデザインする ほどよい田舎暮らしのタレ目とツリ目から見える間の世界を届けています。

【実録 極・貧乏家族】第4話  住所はプレハブ  おやつは白ご飯と塩 たまに大量のミカン

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新たに新生活のスタートとなったわけだが
まず住所が問題だった。


そこは建設会社の裏にある
ただのプレハブと小屋だからだ。


もちろん土地があるのだから住所は
あるにしても、実際には
プレハブと小屋しかないわけだ。

そこに人が住んでいると言わなければ
きっと気付くこともない。


それと一番辛かったのは
とにかく寒かった。
二段ベッドを置き、
長男である僕が上で一人で寝て
下に次男と妹


一番下の弟はまだ保育園なので
慣れるまでは両親と寝ることに。


食事は両親がいる小屋で食べて
そのあと、プレハブに戻るという生活。


子供には贅沢な秘密基地を手に入れた
感覚で、トムソーヤの冒険好きの
僕には寒さ以外はたまらなく快適だった。


父も大変そうではあったが
毎日お世話になっている建設会社で
忙しそうに働いていた。
母もパートに行き、毎日慌しく過ごしていた。


僕らはそれぞれ中学校、小学校まで
自転車と徒歩で通学していた。
三男だけは保育園だったので
朝は母が送り迎えをしていた。


僕も中学校で小学校時代に書いた
「ぼくの夢」で書いた
サッカー選手を目指し、中学校のサッカー部に
入部していた。
厳しい練習だったが、サッカーが好きだったため
楽しく部活動をやっていた。


幸いにも新居は建設会社の広い空き地と
畑のあぜ道があったため
子供には十分すぎる遊びと
僕にとってはうってつけの
サッカーの練習場だった。


食べ盛りの子供たちを満足させるには
両親も苦労したと思う。
自分でいうのも何だが、よく食べていたと
思うので、お米の消費は半端ないものが
あったらしい。


父も建設会社で現場で肉体労働をするので
よく食べるほうで、その当時はタバコも
よく吸っていた。


両親は共働きとはいえ生活は相変わらず
楽にはならず、お米を買うのも
困難な状況だった。


生活費の優先順位としては
子供たちのためにも食べさせることが
一番であるはずなので、お米などの
食料が一番。おやつなどはもちろんない。


お小遣いなど、もちろんない。


お米も一番安いお米をなんとか買える状況。


よってよく学校から帰ってきたら
おやつを食べるという衝動をお菓子で
満たすことはなく、
我が家では、お米と塩で自分で丸めた
オニギリだけだった。
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母が朝炊いたご飯は、大き目の炊飯ジャー
入れっぱなしなので、少々匂いもしていたが
空腹を満たすには十分だった。


兄弟の分もよく作ってあげていたのを
よく覚えている。


もう一つのうれしいおやつが
時期になると母の実家から大量にもらう
ミカンだ!
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このミカンは食べきれないほどに量で
食べきれず、下のほうは腐ってしまうほど。


よくミカンを食べ過ぎると
手が黄色になるというが
あれは本当だ。


その頃から、何故かポテトチップスへの
異常なまでの食べたい願望が
芽生え始める(笑)


つづく.....


次回は、サッカーの夢を諦める事態に・・
家族会議 お米かタバコか
をお届けします。


【その時の自分へ言葉をかけるとしたら】

〇何かの夢に向かうときには
 ハングリー精神は大事
〇今も塩オニギリは大好きだ
〇ミカンの食べすぎで、
 今は何故かアレルギーで食べれない
 食べすぎは気をつけろ!



圧倒的なハングリーさを持っていた
故 スティーブンジョブズ
今、当たり前のように手にしている
スマートフォンタブレット
常識を超え、圧倒的な努力と圧倒的な情熱で
今を生き抜き、点と点を繋いできた
環境などは言い訳でしかない
結局のところ、ビジョンを描き
そのビジョンに対してどれほどの
情熱と努力を注いだからだ。
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